北の紋様について考える

北の紋様についての私なりの考察の変遷




北方民族の紋様、アイヌ民族の紋様を模した商品が アイヌ民族の工芸品以外に殆どないことを不思議に思っていたが
それらの紋様は民族の根幹というかアイデンティティーに関わる部分で 家ごとや人ごとに微妙に紋様が違ってそれが受け継がれたりしているわけで、そこには著作権が生じていることにもなり 個人的な趣味の範囲なら良いが 商いとして利用するのはタブーなのだな ということを今更ながら考える
法律云々より前に 人として心情として それはとても大事にしたい

でも 「伝統の継承」という観点からすると、それではいずれ先細ってしまうのではないかとも 思うわけで
そこはやはり 日本の伝統的な柄のように 誰でもが勝手に使えて勝手に商売にできる風になるのが最善とも思えますし
要するにこうした状況の中で私がその紋様を意識したものを制作するとすれば、どこか「北方を彷彿とさせるような柄ではあるが伝統的なそれとは違う」という 大変微妙なものを作らねばならないということで、 そもそもが、大変微妙で難しい問題なのだと気づく

『北の文様を商いにすることの難しさ』(2018.5.3)



アイヌ民族の文様に興味を持ったことに端を発し
北方民族の文様 生活文化に 今 非常に心が動かされている
最初に「草の繊維の糸、布」を知った時に近い 興味関心と 心躍るような感覚

北海道は北といっても世界的に見ればまだ暖かいほうで微妙なところだけど 「日本」の歴史と文化より北方民族のそれの方が自分の現生活と照らし合わせてもずっと腑に落ちる感覚があるので 気候文化的に やっぱり北海道は日本にあって日本にあらず

北の文様を 形にしたい

『北の文様を形にしたい』(2018.4.5)



「文様」について考えている
衣服の文様、模様について
その発祥は必ず 何かの必然性があったのだろうと思うのでそれを探りたいと
そして 北海道に暮らす「これからの」文様とは どのようなものだろうかと
日本の伝統的なものはどうしても異国のもののように思え、緊張感すら覚えるが アイヌ民族の文様には 親しみと懐かしみとどこか安心するような気持ちを抱く

最近ではアイヌ文化に随分と日が当たるようになってきて アイヌ刺繍も個人的にされる方が多いようなので
葛布の帯が擦り切れたりした場合は アイヌ刺繍でアップリケ 使い手の使い方によって独自の変化を遂げていく布となり ものすごくカッコいいんじゃないかと思っている

ある一定の法則のもと、各自が独自の感覚で自分の身の回りのものに 楽しみや思いを込めながら施したものが変化しながら 自然に無理なく受け継がれていく
そういうものこそを その土地の伝統とか文化とかいうのではないか
もしかしたら そういうものが今北海道にはできつつあって
すると ものすごく面白い時代に 今私たちはいるのかもしれなくて
だとしたら、文様を生み出す事をしている人たちは それが仕事か趣味かに関わらず 全員 責任重大

アイヌ文様のトンガリと渦巻きを、経糸と緯糸でどう表現できるか?
平織り 直角に交差する直線の中での 北方を彷彿とさせるような 文様、表現
私自身は、それをずっと考えています
もしできたら それはとても北海道らしい 北海道に暮らす人が触れてホッとするような文様にもなりうるのではないかと

少し話はずれますが 「着物」そのものも同様で、実は私は着物も やはり「どこか他の国の衣服」という感覚を持っています
だからあまり「それらしい しきたり」にこだわらないし、純粋に素晴らしい衣服だと思うので好きで 着ています
北海道は日本にあって日本ではない=私は日本人であって日本人ではない
という感覚も ずっと持っています

『北海道の文様について』(2018.3.26)


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2018 Sessou